建築・自然・人

確かに建築が私たちに向けてあるいは自然に向けて共振する時がある。建築を造るのは主体である私たちであるが、同時に絶えず建築から投企され続ける客体でも私たちはあるのだ。共振するとは主体と客体の間であるいは投げかけ投げかけられる存在として打てば響くような一つのものとして感じられる至福の時のことである。建築、自然、人の三者の間にも同じ関係性が成り立つ。三者の間で共振が起きた時に建築は風景へと昇華し、人の手から離れた時に建築は自然へと同化するのである。建築に何も期待しない者は何も与えられないだろう。自然に何も見ない者は何の感動も得られないであろう。建築であれ、自然であれ一たびその喜びを知った者であれば、努力すれば永遠にそれを自分のものとする至福の時を手に入れることができるのである。

長い間住宅を中心に建築を手がけてきたが、歳を追うごとに建築自体はシンプルになってきているように思う。建築は機能性や性能評価だけで語られるべきではないことは論を待たない。建築の成り立ちが空間との関係性であるとするなら、それらを思考するのにシンプルであるほうがより本質を捉えやすいからであろう。空間は切り取られ方によって様々に変化する。それが建築の可能性であり創造であるわけだが、問題は空間それ自体が直接見えるものではなく身を置いて体験する以外にないことにある。設計という行為はいってみれば未だ見えざる空間を様々な手法を用いて、ものとの関係性のなかで追い込んでいく作業だといってもいいだろう。

結局、私がやってきたことは空間を成り立たせる領域をどのように造り上げるかということに尽きるのではないだろうか。 たとえば中間領域、コートハウス、半外部空間、アウタールーム、結界、透ける壁、光格子、オープンテラス、屋上庭園など内部からはみだしてゆく部分に大半の興味が注がれていたように思う。それは豊かな内部空間を成立させるために非常に重要な要素であったからに他ならない。あくまで自然と対立するのではなく、光と風と戯れながら自然と対話すること。そのためのひとつの方法論なのだ。
 閉じながら開いてゆく、開きながら閉じてゆくこうしたやりかたは私が自分で建築をやりだしたころからすでに意識して始めていたことである。10年一日少しも進歩がないように思えるが、空間の質や豊かさは創り手側の到達しているレベルでしか見えてこないものであるから、同じように見えても空間的には以前とは大きく違ってきているはずである。ともあれ建築空間にやりつくされたということはなく、これからも多くの人たちに共振するような新たな空間の創造に向けて絶えず挑戦し続けていきたいと思う。

建築家   佐藤 文男

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